
1913
創設年のルイジ・ザイニとデ・クリストフォリス通りにある工房の職人たち。控えめながら優雅な女たちとチョッキの中に誇りを宿した男たち。

1900
年代初頭 美食家のアルトゥージはチョコレートを病気回復の飲み物と定義したが、後にそれが贅沢な食道楽に変化する楽しい時代が到来した。

1923
1923年5月のメニュー。4桁のみの電話番号と煙を吐き出す高い煙突付きの3階建ての大きな工房。

1923
リスト上を流れるような製品の名前は、それぞれの味が満足する魔法の世界へと誘う。

1925
デ・クリストフォリス通りの工房の梱包係は、小箱の梱包に細心の注意を払う能力の高い女性の手に委ねられている。

1925
デ・クリストフォリス通りのザイニ工房のガムとコンフェットの部署でも、女たちは男たちに伍して製造過程の仕事をしている。

1930
年代 ザイニのイラスト・ポスターは、チョコレートと飴が降り注ぐ中の子供の姿を描いている。

1930
年代 休暇中のザイニ家の人々。ルイジとオルガ、息子のピエロ、娘のロゼッタとルイザ、オルガの両親と一緒に。

1930
年代 1930年代のザイニのキャラメルの包装紙は、リバティ様式のミニアチュールの傑作のように配慮されたグラフィックと色彩を持つ。

1930
年代 素晴らしいグラフィックに加えて、ザイニのキャラメルの名前も興味深い。エヴァ、ジョヴィネッッツァ、ルイゼッラ、レアーレ。

1938
ザイニのキャラメルの包装紙は、ステンドグラスのモティーフを丁寧に再現して、ミラノのシンボルに敬意を表している。

1930
年代 イタリアの有名なイラストレーターたちは、このグラフィックアートのように、最初の広告用ポスターに挑戦した。

1938
ルイジの死後、オルガは自分の魅力を全く損なうことなく、会社のトップとして、大きな指導力を発揮した。

1930
年代 オルガ・ザイニはは、母親、女性、そして起業家という要素を一体化させることに長けていた。1950年代以降、会社を指揮することになる息子のヴィットーリオと一緒に。

1940
年代 1940年代のザイニのチョコレート用小箱は、カカオと牛乳の原産地を、優美な様式で描き出している。

1950
年代 1950年代には、戦争はもはや遠い幻の一つとなり、少年・少女たちの幸せな姿が、ザイニのチョコレートの箱から微笑みかけている。

1960
年代 1960年代のチョコレートの箱は、訪問客に出すもの、または訪問する際に贈るものとして除外できない対象だった。

1960
年代 経済の急発展は、広告の中でも喜びをもって歓迎された。このポスター中のピンナップの美しい女性像は、1960年代のイコン。

1960
年代 当時のザイニの製品のイメージキャラクターは、レヴァンテの見本市会場で撮影されたボクサーのプリモ・カルネラと、最も人気があったテレビタレントのエディ・カンパニョーリだった。

1963
年 1963年、ザイニ社50周年祝賀会が執り行われた。写真は、祝賀会でのオルガ、会社の指揮を引き継いだ息子のヴィットーリオとピエロ。

1980
年 チョコレートとキャラメル工場のカカオ焙煎所でのヴィットーリオ・ザイニ。ルイジ・ザイニの指揮は、1990年代にその子息であるルイジとアントネッラに移行した。

2013
年 2013年、ルイジ・ザイニとアントネッラ・ザイニは、ミラノの最も古いチョコレート工場創設者の思い出を讃えるために、ザイニ・ミラノを立ち上げた。